佐助にはあばらがひとつ欠けている。

日差しも和らぎ、吹く風に梅の香りが混ざり始めてきた。芽吹きの春に、庭の木々はひび割れた枝のあちこちに柔らかな葉や小さな蕾を膨らませている。その根元には朝露をたっぷりと含んだ苔が上等の敷物のように青々と広がるのを、ごろりと寝転んだ幸村は斜めに眺めていた。その頭の下には枕の代わりに骨と筋ばかりでちっとも柔らかくない太ももが大人しくじっとしている。かさり、かさりと紙の擦れるささやかな音と、封を切る度に匂い立つ茶墨の匂いに欠伸を漏らすと、それまで全くこちらを見なかった常盤緑の目がまっすぐに見下ろしてきた。日向の猫のようにその目尻は眠たげに細められていて、笑っているようにも見える。

「わざわざ忍屋敷まで出向いてこなくても、少し待てばこっちから向かいましたけどね」
「今から戻るのも面倒だ。…まだ掛かりそうなのか」
「そうね、あと少しってとこですかね」

言いながらまた紙の上に戻った目の動きをぼんやり眺めていた幸村は、紙のふちを持ち上げた指でなぞり端を摘むと軽く擦ってみた。普段自分が使っている紙とは手触りが違うそれにもすぐに興味は逸れて、持ち上がったまま行き場のなかった手は、紙面に目を落とす佐助の頬に添えられた。すす、と頬骨から顎骨をなぞり下ろして尖った顎先からそのまま顎下へ潜り込んで、出っ張った喉仏の呼気に震える振動をひとつふたつと数えてまた離れ、首筋を通って鎖骨の窪みをぐるりとかき混ぜると、声も無く佐助の身体が揺れた。笑っているらしい。気を悪くした風でもないその様子に、幸村は止めていた指をまた動かし始めた。悪戯でもする様に、手遊びに皮膚の上を辿る指には、でこぼことした引き攣れの痕や削られたまま肉の戻らない傷の感触が至る所で指が進むのを阻む様に引っ掛かってくるが、それらの傷に触れると佐助の目が細くすぼめられるのを、幸村は知っている。だから態と傷の上をなぞりながら、しかし首元から下は衣が邪魔で先に進めない。しどけない、というよりはだらしなく襟口の緩んだ隙間に手を差し込めば、この間の戦で受けた真新しい傷があるのだけれど。

(日が高い内から、そのような事をするのもおかしな話だな…)

結局皮膚の上の傷ではなく、衣の上から骨の数を数えることにした。薄っぺらい佐助の胸は触れれば骨の感触がはっきりと分かる。胸骨を数えるのは邪魔になるであろうし、と考えながら、手遊びに余念のない指は脇腹へ落ち着いた。衣の上から指で押すと、筋張っているものの柔らかさのある肉と、皮膚の張り付いた硬い骨が交互に並んでいる。上から、ひとつ、ふたつ、と軽く押しながら数えていると、途中であるべき固い感触は無く、しかし筋の柔らかな感触でもない、奇妙な空白があった。もう一度、上からひとつ、ふたつと数えてみても、やはり同じ場所へ来ると出っ張っているというよりはへこんでいるような錯覚を覚える。骨自体がないのかと思い、そのまま指を横に滑らせると、不思議な事に途中から硬い骨が指を押し返してくる。

「佐助、骨が無い」
「……はあ?」

唐突に掛けられた声に、間の抜けた声を一つ上げてから佐助が手元の封書を折り畳んで、太腿の上に転がる幸村の顔を覗き込んできた。ここだ、と教える様に、何度も触って確かめたへこみを指でぐいぐいと押してみたが、特に痛みはないらしく佐助の顔は平静そのものだった。

「肋骨を上から数えると途中で欠けているようなへこみがあるぞ」
「ああ、それね。生まれつき、そっち側だけ骨が窪んでるんだか欠けてるんだか、足りてないんですよ。でもまあ不自由はしてないんで忘れてましたけど」

本人もよくは分かっていないらしいその骨の、欠けた先を幸村は想像してみる。消えた骨。収まるべき肉は未だに戻って来るのを待ちわびている様に、欠けたままで腑を囲っている。忍びは髪の先から爪先まで雇い主の物だなんて戯言を常々笑いながら行ってのける癖に、幸村ですら未だ見知らぬ骨の先をどこぞに置いてきた赤毛の忍びが不意に憎たらしくなって、幸村はがりがりと骨の足りぬ肉を引っ掻いた。

浮き骨

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