年の瀬だというのに、常と変わらず稽古場には幸村の姿があった。愛用の槍を手にし、水をかぶったように汗だくになった背中からはうっすらと湯気が上っている。師走ともなれば粉雪がちらつき、積もることは無いが霜は降りるし寒さは一際厳しくなるが、まるで寒さを感じていないように凛とした背中の線がたわんで、通常の二倍はあろうかという重さの二槍を満月のような弧をかいて振り抜くと、勢いに飛ばされた汗がはたはたと雫を散らして落ちてゆく。一通りの型をこなし、荒れた呼吸を整えるように深く息を吸いながら俯くと、額からつるりと汗が流れて目尻にたまる。右手の甲で目元に流れ落ちる汗を拭っていると、飴色に焼けた板間の先で何かが落ちている。日の光をちらちらと反射するそれは親指の先ほどの大きさしかなく、首を捻りながらも手にとって持ち上げてみれば、四角四面に点の穿たれた賽であった。

手の中でころりと転がる小さな賽は、その後引き戸の近くでもう一つ見つかった。全く同じ作りのそれは、大きさに反してやたらと重い。鍛錬用の槍を片付け、神棚に一礼してから稽古場を後にした幸村は、手の中に二つの賽を握り締めたまま思案気に腕を組む。さて、落とし主は一体誰であろうかと思いながら勝手所へ向かい、幸村が使う以前に誰か稽古場に居たのかどうかを確認するべく暖簾を持ち上げて女中に声をかけようとしたが、大晦日の準備で慌しくしている様に結局言いそびれてしまった。幸村に気づいた者は甲斐甲斐しく声をかけてきたが、あまりに些事である為、結局肝心なことは何も聞けず、茶を頼む、とだけ言うと大人しく幸村は自室へと戻った。

「さて、どうしたものか…」

持ち主を探さなくてはと思う反面、なかなか縁の無い道具は興味を引いたが、どうやって使えばいいのかも見当がつかず、胡坐をかいた幸村は袂に手を差し込みながらぼんやり畳の上に転がる賽の目を見た。上を向いているのは二と五。双六でもあれば手遊びにもなっただろうが、幼少の時分に遊んだきりでその後どこへ仕舞いこんだのか分からぬ上に、遊戯に熱を上げる性質でもないので、正直もてあましているような気分にさえなって、吐き出した息は知らずため息のようになってしまう。

うんうんと唸っていれば、ふと縁側へ降り立った気配に幸村の目が賽の目から外れる。失礼します、と外からかけられた声は耳に馴染んだ音だ。すらりと開かれた障子の向こうには、予想と違わず盆を片手に持った佐助の姿があった。
「おまたせー。はい、お茶とお茶請けね」
「わざわざお前が来るとは…、珍しいな」
「皆さん忙しないみたいだし、ま、丁度手も空いてたもんで」

音の立たない身捌きで膝を落とすと、小さな卓の上に茶托と湯飲みを置き、それから小振りの皿を一つ置いた佐助は、そのまま退去しようとして身を屈め、畳の上に転がる賽を見つけたようだった。片方の眉尻がついと持ち上がって不思議そうな顔になる。

「グニの半、か」
「何?」
「賽の目だよ。二と五で、グニの半。あ、そっか旦那博打とかやんないしね」

でもなんで賽が転がってるのさ?と訊ねる佐助に、経緯を話してみたが、思い当たることは無いらしくただ肩をすくめただけであった。いささか気落ちして肩を落とす幸村の目の端で、佐助の指が賽を摘み上げる。持ち上げたとたん、僅かに瞼を持ち上げた佐助は、畳の上に残っていたもう一つの賽も拾い上げて、手の中でころりと転がしては首を捻っている。

「どうした」
「いやぁ?なんも。 ……ね、旦那。一から六までで好きな数ゆってみてよ」
「なんだ、突然」
「いいから、言ってみてよ。お願いしますって」
「……三と、四」
「ほいきた」

軽い返事の後に、いつの間にか右の指の間に賽を挟んで持ったと思えば、さながら手裏剣を投げるように手首がしなって畳の上に賽が投げられた。とん、とん、と数回転がって出た目は、先ほど幸村が選んだ三と四。驚きに眉をひそめた幸村は、賽の目をまじまじと見つめてから顔も上げずに口を開いた。

「一と六」
「へいへい」

軽い返事とともに、同じように賽を持った佐助の手が振られ、転がる賽の上向いた面には赤い一つ星と黒い六つ星が並んでいる。言葉通り、一と六である。

「…仕込み、か?」
「おやまあ、旦那にしては聡いじゃない。これ、壷振りが使う賽みたいだね。癖が分かれば好きな目を出せるよ。ほら、」

言い終わる前に、三度佐助の指から振られた賽は畳の上を転々と転がり、ぴたりと止まった。上向いた面にはどちらも赤い一つ星、ピンゾロである。ますます悩ましげな顔になった幸村は、口元をへの字に曲げて賽を見下ろした。幸村の知る限りで博打を打つような、しかもいかさまを好んで行うような人間は思い浮かばないからだ。持ち主のあてが全く無くなってしい途方にくれる幸村を他所に、佐助はひょいひょいと賽を放り投げてはお手玉のように片手で受け止めて遊んでいる。

賽の目/前

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