ひらひらと、鼻先へ振り落ちた桜の花弁を尖らせた唇で息を吹き上げる。さながら蝶のようにたよりなく落ちて行くのを目で追いかけた佐助は、雨の様に無数に、しかし雨よりも柔らかに降り注ぐ桜吹雪を濡れ縁に腰掛けて眺めていた。匂い立つ様に綻ぶ桜の中でも特に目を引く、滝の様に枝を枝垂らせた糸桜は満開で、風が吹く度にひらりひらりと花弁を散らす。
きちんと伸ばした背中を撓めない様にしながらぼんやりと坐る佐助の姿は常のような忍び装束ではなく、出入りの彫金師と同じ作務衣に頭には手拭を巻いて額を剥き出しにしている。ゆるんできた手拭を一度外し、赤みの強い髪をひとつ掻き混ぜてから前髪を後ろへ流し、きちんと結い直す。そしてそれまで正座していた足をおもむろに崩すと、人目を気にする事無く胡座をかいて背中を丸め、膝の上に肘を置き、頬杖をついたままで口を開いた。

「…で、いつまで覗き見してるつもりなんです?」
「いつまで行儀よくしてられるもんなんだか気になってね」
「悪趣味」

きし、きし、と床板を軋ませながら歩み寄る気配に、声も無く笑った佐助はそこで漸く振り返った。視線の先には、濃紺の着流し姿で煙管を手にした政宗が隻眼を細めて見下ろしている。佐助と同じ様に濡れ縁へ腰を下ろし、庭の景色を眺める様に刀の切っ先めいた鋭い眼差しが桜の木へうつると、綻ぶ様に目元が緩んだ。

「奥州の桜も、中々見事なもんだろう」

そう言いながら機嫌良く笑う政宗は、腕を伸ばして煙草盆を引き寄せると葉を詰めて火を落とした。花弁の雨の合間を縫う様に、間を置いて紫煙が立ち上る。相槌を打つでもなく、雨のような花吹雪をぼんやりとした眼差しで眺めていた佐助は、政宗の方をちらとも見ずに口を開いた。

「竜の旦那、こんな話は知ってるかい」

先を促す様に、政宗の口は閉じたままだった。視線だけが、桜から佐助の横顔へずれる。

「枝垂桜の花が咲くと、その枝を伝って死人が現世に帰ってくる。糸桜の枝が垂れるのは、その花ひとつひとつに死者の魂が宿って重たくなるから。花が散るのは、魂の重さに桜が耐えきれなくなるから」

小春日和だというのに、一瞬だけ日が陰ったような錯覚を覚えて政宗は目を細めた。眇めた視線の先、話の薄暗さと全く噛み合ないくらいに、日向で丸くなる猫の様に佐助の顔は淡々としており、目元も穏やかな色を含んで細められている。ついと視線を巡らせ、庭へと向ければ、変わらず桜の花弁は春の温かな風にさやさやと煽られて散ってゆく。煙管の先から上る紫煙が、霞の様に棚引いて空へと消える。

「あんまり桜が奇麗だと、迎えに来たのかと思うよねえ」

ぽつり、と小さな声で溜息の様に呟いた佐助は、それきり表情を剥ぐ様にするりと転じて、人好きのする笑みを浮かべ姿勢を正し、政宗に向き直った。崩していた足を元の様にきちんと組み替え座し、頭を足れたまま、懐から錦糸の縫い取りが施された布で丁寧に包まれた小さな文箱を取り出した。そして包みを床の上に置き、指先だけでそっと押し出す。

「ご依頼頂きました細工物で御座居ます。師からは、くれぐれも宜しくお伝えする様にと言付かって参りました。お納め下さい」

すっかり市井の者へと成り代わった佐助を、つまらなそうに眺めながら、鷹揚に頷き包みを受け取った政宗を、猫の目のようなみどりいろがちらりと伺う様に見上げてくる。そして笑む様にきゅう、と目が細くなると、無造作に伸びてきた腕を払う間もなく、耳の上の生え際を指先で梳られた。ぎょっとして僅かに顎を引く政宗にお構い無しで、すぐに離れた指は、淡い桜色の花弁を一枚摘んでいた。

「さて、誰のたましいだろうね?」

しげしげと眺めていた花弁を、尖らせたくちびるからふっと吐き出した息が吹き飛ばす。頼りなく落ちる花弁に気を取られ目を離した一瞬で、佐助の姿は濡れ縁から消えて居た。政宗の髪についていた桜も、他の散った花弁に紛れて、どれがそうだったのかもすっかり分からない。

徒世の根、現世の枝

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