武田軍に代々仕えている真田家次男坊の真田源次郎幸村ではなく、真田幸村個人としての書状を懐に忍ばせ、遠路遥々奥州まで駆けた佐助を、いの一番に見付けたのは案の定、としか言いようの無い相手だった。野駆けでもするような気楽な様子に反してその素早さと言ったら、将よりも忍びの方が余程馬が合うのではなかろうかと余計な口を挟みたくなる程である。流石の縁者というべきか、蛇の様な執拗な追跡をどうにか撒き、手入れの行き届いた城の一角、見事な枝振りの木に降り立った佐助は草臥れた様に息を吐き、目頭を指の節で擦った。全く、余計な体力を割いてしまった。青青と葉を茂らせるうてなに膝を崩して座り直せば、後は気配を殺し切らずに待ち人が遣ってくるのを待つばかりである。

 すらりと開いた障子から中へ入ったのは政宗だけで、後を追っていた従者は用を為せば一礼して下がっていった。暑さの厳しくなる直前の、独特の季節柄なのか空気は水気を多く含んでいる。このような日は煙草の葉が湿気ってしまうのであまり好ましくは無いが、茹だる様な暑さに比べれば過ごし易い。障子紙を透かす明かりを背に書簡や本の散乱した文机へ躙り寄り、開きもせずに置かれた書状の封を切ってバサバサと紙ずれの音をたてて開く。癖のある青墨色の文字を目で追いかけ、何年経っても悪筆一歩手前の癖の強い文字は直らないようだと感慨深い気分を味わう。

「家康公って意外と字が汚いよねー」
「…………」

 背後から突然掛けられた声に、ぞわりと首筋の肌が怖気立つ。これだから忍びは、特に真田仕えのこいつは気に食わないのだと、下瞼にくっきり皺を寄せながら胡乱気に振り返った政宗の眼前に、気安い所作で書状が突きつけられた。既にもう、気安いを通り越して不敬ですらある。

「他人のことを言えた様か? 真田だっていい勝負じゃねェか」
「あの人もねー、あんな奇麗な字で恋文でも書けば相手は頬染めて恥じらう位してくれそうなのにねぇ」
「頬染めて喜ぶのは前田の風来坊ぐれェなモンだ」
「それもそうね」

 目前に突きつけられたまま下がろうとしない書状を忌々し気に受け取り、封を開いてみれば件の話通り、涼やかな文字がつらつらと並んでいる。並んではいるが、その話題は決して涼やかなものなんかではなく、寧ろ武田軍特有の暑苦しさで満ち満ちていた。どいつもこいつも、変わりはしないものだと鼻で笑い、顔を上げてみれば、佐助は覗き見る事を良しとしない風に距離を置いていた。他人の書状は盗み見る癖に、この義理堅さ。

「面倒臭ェな」
「返事を頂くまで帰れませんのでそのおつもりで」

 つんとした顔でぬけぬけとせびる佐助に舌打ちを零し、文机を占拠していた紙束を肘で端へと寄せ返書の支度を始めた政宗の背後で、障子明かりを見ていた佐助が、雨、と呟いた。水の匂いが濃くなり、雨音が静かに、次第に強く響き始める。

驟雨の檻

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