相性が決して良いとは言えぬというのに佐助が与えられた任務を拒否しなかった理由は幾つかある。概ねは里の命令は絶対という身に染み付いた決まり事の所為であったし、当時の忍隊の長の命令だったからだが、小さなものとしては何の事は無い。毒を喰らったと気付いた時には既にもう、知らず皿まで平らげてしまっていたからだ。

 幸村の記憶する限り、佐助との一番古い思い出は碌でもないものばかりである。今でこそ流れる水の様にべらべらとよく喋るあの忍びは、幸村が未だ弁丸と呼ばれていた頃は必要なければ一言も喋らずに居る様な男だった。寡黙なのでは無い。口を開こうとしない。喋れば歳に似合わぬ堅苦しい言葉を使うし悪辣な皮肉も言うが、それだって弁丸以外の、それこそ同郷の忍び連中と交わすばかりで、弁丸の前に出ると途端に舌の根が凍り付いた様に口を噤む。肯定、否定、それから、弁丸の名前。大凡このみっつで構成された佐助の言葉は、がさがさとしゃがれていてとても聞き取り難かった。それを忘れられずに居ると知ったら、あの忍びは一体どんな顔をするだろう。

 真田幸村は異能持ちだった。その片鱗は幼い頃には現れ始め、けれど上手く手綱をさばけぬ様で当人の意思とは無関係に、漏れ出る炎の気は周囲へと及んだ。手練と名高い戦忍びですら耐えきれぬ程の炎は目に見えず、知らず臓腑を焼いて血すら燃やし尽くす。咳き込めば吐き出すもの等、塵と灰ばかり。当時、未だ幼い彼の周囲に居た忍びは目紛しく入れ替わり、 佐助へその役目が回って来たのは、戦線を離れた忍びの数が片手で足りなくなった頃だった。目には目を、異能には異能を。特に佐助が肚の内に飼い殺している闇は節操無くすべてを飲み込んだ。沼の様に冷たく、重く、絡み付いて、沈める。

「冬になると」
 徐に語り始めた幸村に、佐助が顔を上げてみると当の本人は板間の上に座り、背を真っ直ぐに伸ばしながら雪のちらつく庭を眺めていた。寒さ等感じていない様に、薄曇りの空から舞う様に落ちて来る白雪を目が追いかけている。
「冬になると、昔は良く体調を崩していたであろう、佐助。今は、もうそんな事は無いのか」
「はあ」
 気の抜けた相槌を打ちながら、佐助はちらと文机を見遣る。広げられた書状には未だ墨色はひとつだって見当たらない。硯の中で墨は黒々としたままそこに有る。筆先は湿っているがまだ水気をたっぷりと含んで重た気だった。
「別に身体が弱い訳ってンじゃぁ、ないですよ。それより旦那、早く書状書き上げてくれませんかね」
「あの頃は全く、口も利かぬし、よく咳き込んでいただろう。病弱でありながら忍びの勤めが果たせるのかと常々」
「……そんな事思ってたんですかあんた。酷い御人だね」
 いいからさっさと書いて下さいよ、俺様これでも忙しいんですから。
 そう言うと漸くといった体で腰を浮かせ、文机へと向き直った幸村は、筆を取ると少しばかり考え込んだ後、書状へ穂先を滑らせ始めた。猪の様な猛進振りや喧しさからは想像もできない様な、美しい文字がつらりつらりと書き付けられて行くのを横目に、こそりと佐助は溜め息を零す。気取られぬ様に、そっと。かじかむには至らぬけれど、体温の薄れたような冷たい指先で、己の頚筋をやんわりと撫で付けても、その喉は焼ける様な痛みをもう訴えない。

 最初の七日間は、拷問のようだった。加減が掴めず、為損じた炎は喉を焼き、肺腑を焦がす。喋る事も侭ならず寝込んだ事もあった。咳をすれば吐き出すものの黒さに、血の赤が恋しくなる程だった。十日目から、咳き込む頻度が徐々に減り、二十日を過ぎる頃には身体が先に慣れた。足らぬ部分を闇が補い、すっかりと佐助の内側はそれに順応した。血も灰も吐き出さず、喉を焼かれる事も無い。けれど、ただでさえ身を酷使し過ぎて短命な者が多いというのに、身体が出来上がる前に異能の力を使い過ぎてしまったこの身はきっと、人並みに生きる事は出来ずに朽ちるだろう。

「俺様が死んだら旦那の炎で荼毘に伏して欲しいなあ」
「何だ突然。縁起でもない」
「そう? じゃあ、半分だけでいいよ」

 もう半分は、とっくにあんたに殺されてるもの。

灰が降る

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