奥州筆頭、伊達政宗が血を吐き床に伏しているという。

「……と、報せがありましたので見舞いにと参じたのですが」
「だからってなんで手前が直々に来るんだよ、真田。仮にも大将だろうが」

 随分としゃがれてはいるが、声は未だ確りと響く。常ならば煙草の煙を燻らせているであろうに、優秀な部下の根回しなのか煙草盆すら傍らには無いのが物珍しい。鼻先を掠めるのも薫き染めた香の匂いだけだ。違和感を覚えるのはしかし嗅覚ばかりで、咳き込みながらも羽織を肩にひっかけて座る政宗の顔色は常と余り変わりなく血色が悪い。お陰でいつも通りなのかそれとも本当に病理に侵されているのか、幸村にはいまひとつ判断がつかない。

「病に倒れたならば、症状が悪化する前に最後の手合わせと思ったのですが杞憂でござったな」
「病人相手に容赦ねェこった。帰れ、――と言いたい所だが見舞客をそのまま返すのは流儀に反する」
「いえ!押し掛けも同然で参りました故、これ以上世話になる訳には、」
「連れて来てんだろ、あれも。虎のオッサンに繋ぎをつけときな。こっちは構わねェよ、泊まってけ」
「……お心遣い、痛み入ります。では、お言葉に甘えて」

 ちらり、と天井を見上げて、一拍。物音一つ、鳥の声すら聞こえぬのを確かめて、幸村は深々と頭を下げた。繋を着けるべく奔走するであろう当人達からの申し立てが無いのならば、政宗の申し出は確かに有り難かったからだ。鈍い曇天を透かす陽光は薄く、昼過ぎというのに外はぼんやりと曖昧にすすけている。積もった雪ばかりがやけに白く、凍みる様な水の匂いが纏わりついて離れない。

「夜更けには吹雪となりましょうな。某は兎も角、馬が不憫で」
「吹雪」
「はい」
「晴れてるぞ、外」
「そういう匂いがしますので」

 胡乱に問う政宗の声に、さも平然と答えた幸村の言葉を肯定するかの様な間合いで、天井板がきしりと小さく音を立てた。



「本当に降りやがった…」

 轟々と唸る様な寒風と舞い散る雪花にうんざりとした顔も長くは持たず、込み上げる咳に喉を塞がれて引き攣れた様なひしゃげた声がけんけんと夜気に響いた。喘ぐ様に半端に開いた唇は空気を欲しがって荒い息を繰り返す。日が落ちてからというもの、酷くなるばかりの咳にいい加減うんざりしてきたが、こればかりはどうにもならない。くどくどしく言い含めて来る小十郎の声もすっかり聞き飽きてしまっていたので、城に出入りしている薬師の用意した丸薬の包みを、と手を伸ばしかけて、その腕がぱたりと弛緩する様に垂れた。締め切った筈の室内の空気が不意に揺らぐ。

「臭いと思ったらそんなん飲んでたんだー。随分辛そうじゃぁないか、竜の旦那」
「烏にゃ縁の無い話だろう?何時だってしゃがれ声で喚き立ててるものなァ」
「血、吐いたって嘘じゃぁないでしょう」
「さてな」

 背後からの唐突な声にも動じた様子の無い侭、問答を続ける政宗に若干、佐助の声が尖る。ほんの僅か、ではあるけれど態々奥州汲んだりまで足を運んだからには手ぶらで帰るつもりが無いらしい。なんとも強欲な事だと取り合う気の薄い政宗が丸薬を口に含むまで、その一連の所作を観察する様に不躾な視線が皮膚をちくちくと刺さるのが煩わしい。

「このまま死んでくれたら手っ取り早いんだけどなあ」
「そうなったら真っ先に疑われるのは手前だろうよ」
「まっさか。毒殺とか俺様専門外」
「抜かせ、……ッ」

 ごほ、と空気の塊を吐き出す様に俯き、口元を押さえた政宗の背中や肩が震える。喉笛を掻き切ったようにひゅうひゅうと鳴る呼吸の音に苛々と眉を寄せ、ばりばりと赤毛を掻きむしった佐助は襟元の合わせに手を突っ込み、二枚貝を掴むと声も掛けずにそれを放り投げた。緩い弧を描いた貝は政宗の羽織の裾に落ちて、ころりと転がる。それを胡散臭そうに眺めた政宗は、手を伸ばそうともしない。

「土産にしちゃ偉く貧相じゃねェか」
「土産じゃないしいいでしょ別にー。使いなよ、それ。効くよ」

 どうせ咳が酷くてろくに眠れていないんだろう、と口端を歪める佐助に、肩を竦めただけの政宗は矢張り手を伸ばさない。ふらりと彷徨った指先は煙草盆を置いている場所を撫で、目当てのものが無い事に落胆した様に板間の木目を引っ掻いた。炭の爆ぜる音に、ガリガリと固い音が混ざる。

「かっわいくなぁい!ちょっとは旦那見習ってよね」
「あれの何処見習えってんだ。質が違いすぎるだろうが」
「同じだよアンタもあの人も。特に、餓鬼の頃とそっくりな顔しやがって腹立つ」
「あぁ?」

 衣擦れの音ひとつ立てずに傍らへと歩み寄り膝を折った佐助が、手を伸ばして投げつけた二枚貝を拾い上げる。手甲の嵌っていない手指はやけに生白く、短く切り揃えられた爪の色までがやけに白い。引き攣れた傷跡の残る指先が貝を開いて中の軟膏を指先で掬い取り、それをそのまま自分の喉元へと塗り付けると鈍った政宗の嗅覚にもはっきりと分かる程、薄荷の匂いが鼻先へと漂う。自らに塗って見せ毒も何も無いと証明してみせた佐助の態度に、厭きれた様な顔で眺めていた政宗は溜め息を零すと着込んだ襟ぐりを崩す様に自ら手を差し込み、首元が露になる様に開いてその侭、無言で顎で促す。それに表情を変えたのは佐助で、この世の終わりを見た様な仏頂面になるが、全く引く気の無い政宗の横柄さに結局折れて、嫌々軟膏を乗せた指先を首元へと伸ばした。度胸があるのか馬鹿にされているのか。間違いなく相手にされていない。

 熱があるのか、やけに体温の高い肌の上を指が滑る度、脈の感触が伝わって大変に宜しく無い気分を上回る、縊り殺してしまいたい衝動を押し殺す佐助を他所に、薄荷の匂いにすん、と鼻を鳴らした政宗は心地良さげに欠伸を噛み殺した。日向の猫の様なその呑気さに、これが本当に龍であったのならば喉の逆鱗を潰してやるのに、と恨めしく睨む佐助の半眼も素知らぬ振りするその顔の、憎らしい事!

鳴いて血を吐け杜鵑

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