未だ夜は明けぬ時間、はつはつと雪の降る音が聞こえる。口元を覆っていた首巻を引き下げながら、ぶるりと首を振ってみれば熟れた柿のような髪から綿毛のような雪がぼたぼたと降り落ちた。吐き出す息は白く、吸い込む空気は肺に凍みるように冷たい。枝振りに雪をたっぷり乗せてしなるうてなに立って、眼下を見下ろす佐助の目に点々と赤い実が田上に転がっているのが映る。
「おおい、佐助ぇ」
 雪に埋まった根元の上、沈みもせずに雪上に立って見上げてくる揃いの顔へ視線を移した佐助が、視線だけでなく顔もしっかり向け直すのを待ってから伊三が口を開く。
「勝手所で雑煮の支度をしていた侍女が見かけたそうだ」
「そ。そりゃ重畳。で、そのお嬢さんは旦那の行き先、聞いてた?」
「嗚呼。幸村さまは柚子入りの雑煮を平らげて出たと言っていた」
「柚子もいいが大根と人参の澄し仕立ても中々だと思うぞ」
「紫黒米の入った餅を入れても美味いな」
「役に立たねェなあああ、ほんっとに!」
「態々聞き込んでやったというのになんたる言い草」
「ずくを出してやったというのに礼も無しとは」
「はいはいどーもー、ありがとさん。で。旦那はどっち行ったの」
 つらつらとよく回る舌をぴたりと引っ込めて、清海が山の麓を指差した。隣に立つ伊三は懐から包みを取り出して、それを佐助の顔面めがけて投げつけたが難なく受け止められて舌打ちを零し、詰まらなそうにそっぽを向いた。手のひらで受け取った包みを開かずとも、鼻を一度鳴らしてほんの僅か漂う匂いで中身を察した佐助は、やれやれとため息を零しながら包みを懐へ仕舞うと、指笛で大烏を呼ぶ。清海が指差した方向は、点々と落ちる南天の道しるべの先と同じ向きだった。

「旦那ーぁ」
 大烏の足に捕まり、山の麓のまばらに生えた木々の隙間をつぶさに見渡していた佐助は、見慣れた栗色のまあるい頭を見つけて間延びした声をかけながら手を離した。ふ、と浮遊する感覚の後に、足裏に硬い雪の感触。着地した時の自重をいなして、ぱりぱりと薄い氷が割れるような音を立てながら駆け寄ってみれば、切り株の上に腰を下ろしていた幸村が顔を上げ、破顔した。
「おお、佐助!すまんが何か食う物はないか。どうにも腹が減ってしまってな、」
「出掛けに雑煮食べたんでしょーが」
「うむ」
 胃の腑の上をさすりながら、鼻の天辺を赤くした幸村が情けなく眉尻を下げて佐助を見上げてくる。この寒さの中、厚着をしている訳でもないというのに震える事も無く、小さな子供のように鼻や頬を赤くしているだけの幸村に呆れた佐助は、切り株の後ろからにょっきりとはみ出た物に気づいて目を瞬かせた。
「旦那、それ」
「ん?ああ、いやな。鹿を狙っていたのだが、出くわしたのがこいつでなあ。仕留めたはいいが、どうにも腹が減って肌寒いしくたびれるしで」
「猪素手で仕留めたの!?」
「これも日頃の鍛錬あってこそ。ありがとうございますお館さぶぁぁぁああああ!!!」
 幸村の声の所為か、それとも単純に間が合っただけなのか、遠くで枝に積もった雪が落ちるような、重く柔らかな落下音を聞きながら佐助は思わず目元を手のひらで覆った。年明け早々抜け出したと思えば何やってるんだこの雇い主はしかも夜明け前に!
「あー、もー…。とりあえずこれ食っといて下さい。旦那だけならどうにか運べるけど、こんなデカイおまけがついてちゃ烏も飛べないんで」
 懐に手を差し込んで伊三から受け取った包みをぽんと放る。それを両手でしっかと受け止めた幸村は、包みがばらけぬように結わえられた紐を解くと、中の干し柿に目を輝かせ早速ひとつ手に取り噛り付いた。
「日が出ると霜渡りも出来なくなるんで、早めに戻らないと。…旦那、聴いてる?」
「んぐ」
「今度は出る時、一声掛けて下さいよ。誰でもいいから」
「ん、……目印ならちゃんと残しただろう」
「はぁ」
「南天だ。それを見て追いかけてきたのではないのか」
「ああ、あれ」
 目印のつもりだったの、と疲れの滲む声で呟く佐助に、幸村は腹も膨れた所為か満面の笑みを浮かべてどこか自慢げに胸を張った。
「雪に南天の赤は映えるだろう?お前の髪をみていてな、目印になるだろうと思ったのだが、思った通りだ」
 悪気も無く言われた言葉に、それまで眉間にできていた皺を緩めて、口を開いた佐助は結局何も言わず、代わりにため息を吐き出してかくん、と項垂れた。

霜渡る南天

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