第一印象は、正直な所余り覚えていない。

 セッター、というのは、善かれ悪しかれどうにも癖が強い面子が揃い易いポジションだと思う。一番才能のある奴がやるべきポジションなんて言われもするが、事実求められる役割は多い。だと言うのに、ローテで何度も試合を繰り返した梟谷学園の正セッターである、赤葦京治という男の印象は兎に角うろだった。何せ、専ら相手をする事の多いエースアタッカーが喧しい。喧しいだけでなく、実力が伴ってしまっているものだから尚タチが悪い。
「もう、いっ、ぽぉぉぉん!」
 張りのある声が体育館にわんと木霊する。ブロックを躱しコートに叩き付けられたスパイクの威力たるや、掠った手の平がびりびりと痺れた様に痛んで月島は口端をぐっと引き結んだ。
「っしゃァァァ!!」
 諸手を上げて、声を張り上げ過ぎたのかノンブレスのまま咳き込む木兎の背中を、溜め息を零して歩み寄り、表情一つ変えぬ赤葦が擦ってやる。どちらが後輩か、分かりゃしない。
「はー喉イテェ。ちょい、赤葦スポドリちょうだい」
「さっき飲み干してませんでしたか」
「マジか!じゃあ赤葦の一口、って、お前の味薄いんだよなあ…。黒尾ー」
「ヤダー」
「俺まだなんも言ってなくね!?」
 やいやいと騒ぎ出す主将達を横目に、タオルを取りにコート脇へと歩き出した月島は一度眼鏡を外して目元を手の平で拭った。額から滑り落ちて来る汗が目に入るとしみて仕方が無い。眼鏡をかけ直してもう一度コートの方を見てみれば、スポドリを奪い合っていた黒尾と木兎は何故か腕相撲をしていた。
「すぐに決着は着かないと思うよ」
 キュ、とシューズを鳴らして赤葦が歩いてくる。数秒の逡巡の後、サポーターを足首まで下げてから膝を折って座った月島の隣に、赤葦は手に持っていたスクイズボトルの飲み口を銜えながら壁に寄り掛かった。
「あの二人って、いつもこうなんですか」
 上がっていた息を整える様に、意識して呼吸を深くしながら隣に立つ赤葦へ一瞥もくれず、問うた月島の声に喉を鳴らしてスポドリを飲んでいた赤葦は考えるような間を置いてから、うん、と一つ頷いた。
「大体こんな感じだね」
 元々、居残りをするつもりでなかった月島の持ち物はほぼ無いに等しい。それに気付いた赤葦が、飲みかけで良ければ飲む?と、目の前に差し出してきたボトルを会釈して受け取りながら、未だ膠着した様に決着のついていない腕相撲の行方を眺めながら飲み口を銜えボトルの腹を指で押せば、確かに木兎が言う通り薄めたポカリの微かな甘さが口に広がる。けれど腹に溜る様な重さは感じず、寧ろ飲み易いくらいだった。
 お互い、饒舌とは言い難い気質のようで会話らしい会話はそれっきり、途切れてしまったが不思議と居心地は悪く無い。冷めているのとも、暑苦しいのとも、また違う。淡々とした性格だからこそ、あの賑やかなエースと渡り合ってゆけるのだろうか。
「ああ。決着着いたみたい」
 ぽつん、と聞こえた声に、赤葦を見上げると。あかあしー!と叫ぶ木兎の声が体育館に響き渡った。見れば、腕を倒されるだけでなく身体ごとコートの上に転がされ負けた、黒尾が首裏を掻きながら立ち上がって月島と赤葦の方を見た途端、面白がるよに片眉を吊り上げている。
「まだやるんですか…」
「際限無いから、逃げないと終わらないよ」
 逃げてみる?
 煽るというには、刺の無い声が内緒話でもするみたいにトーンを下げて問うて来る。それに眉を顰めれば、言葉にせずとも察したらしい赤葦が切れ長の目をさらに細めて、小さく笑った。差し出された手にスクイズボトルを返そうと腕を上げたが、ボトルでは無く月島の手首を掴んだ赤葦の五指が熱くて思わず腕を引きそうになるが、それを許さず引っ張られてよろめくように立ち上がる。視界の高低差が逆転して、見上げてばかり居た視線が少しだけ、下を向く。
「手、熱くないですか」
「良く言われる。平熱が高い所為かな」
「手の冷たい人は心が温かいって、言いますよね」
「言うね」
 今度こそ、月島からボトルを受け取った赤葦が、自分の手の平を眼前に翳してひらつかせた。エースへのトスを繋ぐ為の、しなやかな指は見目だけならば冷たそうなのに、触れてみれば驚く程に熱を持っているのを、今、知ったばかりだ。
「俺の熱は分ける為にあるからね」
 手が冷たい人は心が温かい。元はイギリスの諺らしいが、これを言うと反語のように、心が冷たいから手が温かい。そう認識して食いついて来る相手ばかりだったので、赤葦の言葉に月島は意表を突かれた。分け与える為に、なんて、何でも無い様にそう答えた赤葦は、木兎に呼ばれ先に歩き出して居る。その背中を暫し見送り、後を追う様に月島も、コートへ戻るべく踏み出した。

卵から林檎まで

inserted by FC2 system