目が覚めると、視界一面が水の中の様なうすい青色をしていた。
 腫れぼったい目蓋を瞬かせて研磨はもう一度、ピントを合わせる様に目を細める。ベッドの上で仰向けになったまま、寝起きのぼやけた視界がクリアになって、うすい青色が薄暗い部屋の白い天井に反射する光の色だと気付いた途端、寝惚けて曖昧だった感覚がはっきりと鮮明になった。枕元の携帯ゲームから流れる電子音に寝返りを打って腹這いになると、きしりとスプリングが揺れる。手探りで引き寄せたゲーム機の画面はスタート画面を繰り返し流している。セーブデータを読み込んでみればクリア済みを表す様に色の変わったアイコンが並んでいるのを見て、ようやく思い出した。スキップ出来ないエンドロールを眺めているうちにいつの間にか眠っていたらしい。
 ゲーム機の電源を落として、皺の寄ったシーツに肘をついて身体を起こす。ゲームの画面がブラックアウトしたというのに、室内は未だ、光に照らされてちらちらと明るい。その光源を見付けるのは随分簡単だった。何せ、ベッドサイドに腰を下ろしている。
「何してるの…」
 いつから居たの、何で居るの、だなんて、そんな事は聞かない。ノックもせずにやって来る来訪者との付き合いの長さを考えれば聞くだけ無駄な問いだ。どうにも研磨の母親はこの幼馴染みに甘い所が有る。どうせ顔パスだ。
 太腿の上にノートパソコンを置いて動画を見ていた黒尾の両耳は大きな黒いヘッドホンで塞がっている。多分、モニター用の、密閉式。研磨の掠れた寝起きの声なんて簡単にシャットアウトしてみせるそのヘッドホンの、右耳の表面を爪で突いてみる。本当に軽く、のつもりだったが黒尾にしてみればかなりの音だったのか、それまで微動だにしなかった肩が跳ねてヘッドホンがずれた。肩越しに振り返って、うっそりと眉を寄せる。
「もうちょっと普通に呼べよ」
「呼んだよ。クロが気付いてないだけ。……何、それ」
「あー、悪ぃ。勝手に借りてる」
「そうじゃなくて」
 ヘッドホンを首に引っ掻けながら、太腿の上のノートパソコンを拝借していると詫びる声は研磨の耳を素通りした。問うているのはそんな事ではない。食い入る様な研磨の視線に気付いたのか、質問の矛先を察した黒尾が、ああ、と得心がいった様に笑う。
「PC眼鏡。結構前までCMやってたろ」
「今までそんなの、使ってた?」
「いや、今日買って来たばっか。だから先に、試してみようかな、と」
 見慣れぬ眼鏡をかけた黒尾の顔を、まじまじと見詰める研磨の眉間から皺は消えない。それどころか、さらにぎゅっと眉根が寄った。
「赤縁、似合わないよ」
「そうかぁ?」
「なんか、……あざとい」
「ははっ」
 スクエア型の、明るすぎない赤い眼鏡はどうにも黒尾のイメージと結びつかず、鼻の頭に皺を寄せて不明虜な発音であざとい、と評した研磨の声に黒尾が肩を揺らして笑った。似合わない、と言われて、まさか喜んでいるのではあるまいなと、増々訝しむように黙りと口を噤む研磨の表情は、すっかりと不貞腐れている。ノートパソコンを腿の上から下ろしてヘッドホンも外して傍に転がし、ちくちくと刺すような研磨の視線を物ともせず、両手で眼鏡を外した黒尾は、手の中でくるりとフレームの向きを変えて腕を伸ばした。反射のようにぎゅ、と両目を閉じて身構えた研磨の髪を潜って、きちんとつるが耳に掛かる様、黒尾の指先がのろく動くのがこそばゆい。鼻先にずれていたフレームを指先で軽く押し上げて指先が離れてから、そろりと目蓋を持上げた研磨の、色の薄い目がぱちぱちと瞬きを繰り返した。その顔を覗き込む様に、下から見上げて来る黒尾の顔が笑っている。いつものにやついた猫のような笑い方、では無くて。唇を浅く歪めて、目を細めるそんな顔は、見た事が無い。知らない表情だ。
「失礼ながら」
 ゆっくりと唇が動く。覗き込む視線を直視出来なくて伏せがちな視線の先で、言葉を紡ぐ為に開いた唇のうちがわ、舌が動くのを見詰める研磨へ、囁く様な声は甘ったるく低い。
「坊ちゃんの目は、ブルーライトを浴び過ぎでございます」
「―――――」
「似てる?」
 それが、CMに出演していた俳優の真似事だと。気付いて、知らず詰めていた呼気が、呆れた様に溜め息となって零れた。
「似てない」
 ちっとも、全然、似てない。駄目押しする様に繰り返した研磨の小さな声に、二回繰り返さなくてもと、大仰に肩を竦めた黒尾の手が懲りずに触れて来る。フレームに絡む金色の細い猫っ毛を掬って、耳に掛ける仕草がまるで幼子をあやす様に優しくて、研磨は伏せた視線を持上げる事が出来やしない。
「似合わないのを使ってても仕方が無いし、研磨にやるよ。それ」
「別の色に交換してもらうとか、」
「ゲームする人にもオススメだってさ」
「……いらない」
「研磨が赤縁眼鏡かけてると、なんかエロいな」
「いらない」
 そう言うなよ、と笑う黒尾が携帯を取り出して構えるので、写メを撮らせてなるものかと研磨の手が邪魔をする様にじゃれつく。本気には程遠い、鈍い動きでカメラを塞ごうとする手はやがて悪戯を叱る様に黒尾の手に掴まってシーツの上に縫い止められた。やっぱり眼鏡邪魔かも、と呟く声に、研磨は返事をしない。

あおにしずむ

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