ふ、と目が覚めて、遅れて眠っていた意識がおぼろに覚める。腹這いに寝そべっていた身体は泥の様に重く、肘をつき身体を起こして布団の上で胡座をかくのにやけに時間を食ってしまった。首裏を掻きながらくわりと欠伸を噛殺し、枕元に脱ぎ散らかしていた寝間着代わりの浴衣を肩に引っ掻け、煙草と灰皿を引き寄せた。マッチの燐が燃える匂いと、癖の強い煙草の匂いが混ざってゆるく蜷局を巻いて天井へと紫煙が燻る。一吸い、二吸い、伸びた灰を灰皿の中へと落として、ようよう薄暗がりに慣れた目が夜に輪郭を滲ませる室内の様子を視認する。見慣れた部屋の、見慣れた有様の中、ただひとつ、馴染まぬ男が背後で未だ眠っている。夜明けには未だ遠い部屋の中は湿った空気が静かに満ちていて、まるで水の中の様だ。

 ごろりと、寝返りを打つ気配に銜えていた煙草を、灰皿の底へと押し付けて揉み消し振り返る。起きた、のではなく、恐らくは痛みと膚に色を刻んだ痒みか、左胸に爪を立てようとする左手を阻む様に赤葦の手が伸びた。指先を掬い、絡めて、そのまま布団の上へと縫い付ける様に押さえ込む。唸る様に低く喉を鳴らし、眉間に皺を寄せた男が寝ぼけ眼を瞬かせて、ぼんやりと見上げて来る。それを見下ろして、駄目ですよ、と囁いた。
「掻いたら、色が抜けますよ。木兎さん」
 また痛い思いをするのは厭でしょう?
 諭す様な声に、木兎は眉を顰めたままで腕から力を抜いた。動こうと押し返す力の無い手を離すのが惜しくて、その侭にしていたら指先を握り込まれて下から掬う様に持上げられたが、赤葦はもう、押さえ込む気も無いので好きにさせた。手を引かれ、口元に運ばれる指先、爪の付け根をばくりと口に含まれても、だ。
 肉厚の舌が指先の、神経の集まった皮膚の上をぞろりと舐めて爪に歯を立てる。節の立った人差し指と中指の二本が唾液に濡れて、離れ際に淫らがましい音を立てた。
「…煙草の味がする」
「お気に召しませんか」
「まーね」
 ふ、と吐き出す呼気が熱を孕んで重い。痛みを堪えているのか、それとも別の何か、例えば、欲を堪えているのか、分かっていて赤葦は何も言わない。口を噤んで、不機嫌そうに眉をしかめながら指を食む木兎を、ただ静かに見下ろした。その首へ、それまで大人しくしていた木兎の右手が伸びて頚裏を掴み強く引き寄せる。
 布団の上に手をついて、倒れ込まぬ様に上体を傾げた赤葦の、男らしく張り出した喉仏に木兎が噛み付いた。甘噛み、なんてものじゃない。朝になれば、鬱血した歯形が並んでいるのが想像出来てしまう。呼気を逃がして鈍い痛みをやり過ごす赤葦の首裏を捕まえていた手は、抵抗が無いのを良い事に襟足の髪を逆撫でにして梳く様に撫ぜ、そのまま髪を掴んで逃げられぬように動きを封じる。今度は喉ではなく、唇を塞がれ、赤葦は目蓋を閉じた。身動いた拍子に肩から滑り、足下でくたりと蟠る浴衣の事なぞ、もうどうでもいい。

傷口から咲く花

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