ブースの中に入ると月島は全くこちらを見ようともしない。それどころか、手を伸ばせばハイタッチぐらい出来そうな場所でひしめき合ってる観客を一瞥する事すら稀だ。客ガン無視で淡々とプレイするのがまた良い、と一部でコアなファンを作り、擦れ違う時にいい匂いがする、と妙な噂を立て、色んな意味で最近もっとも注目されている。そんな月島に頼まれ、映像を組んだ黒尾はフロアが見渡せる一階のVJブースで、ハイネケンをちびちび飲みながら眼下の光景を眺めていた。うねる人波の影を、頭上のライトが舐める様に照らしてゆくのがサーチライトのようだ。手元のスマホをタップして、事前に渡されていたセットリストを眺めながら月島の背後、スクリーンに映る映像を曲に合わせて切り替えて行く。まるで古いスチールムービーのような色合いの映像は月島からのリクエストだった。頼まれればその通りに仕上げるのが黒尾の仕事ではあるものの、毎回毎回、仕事をこなせど労いが無いのは如何なものか。
 ブレイクの後、掛かったのは伸びやかな女性ヴォーカルのHEAVENLY STAR。本来ならば褪せたモノトーンのフィルムを使った映像を使う、つもりだった。けれど。

 それまでとは、反応が変わった事に気付いたのは、次の曲を準備している時だった。モニター用のヘッドホンをずらして最前列の女性客を見れば、視線は自分を通り越してその後ろ、スクリーンへと注がれている。首を捻って背後を振り返るも、近過ぎてピントが合わず月島は目を細めて凝視した。確か、この曲の辺りでは無彩色に差し色一色を足したシンプルな映像を流すと、テストモニターであの男は言っていた筈だというのに。
「何これ」
 流れていたのは、金髪の可愛らしい少年だった。きらきらとした碧眼、未だ丸みの勝つ柔らかそうな手足、人形の様にクラシックな衣装を着込んだ少年の顔立ちは、どことなく月島に似ている。

「あ、」
 気付いた。
 階下のフロア、ブースの中で月島が背後を振り返るのを黒尾は瞬きもせずにじっと見詰めた。振り返り、そのまま、フリーズ。動かない。様子のおかしい月島に観客も気付き始めた様で、スピーカーから響く高音の透き通る様な歌声に隠れきれずに其処此処で声が上がる。機材トラブル?どうしたの?何かあった?飛び交う憶測を綺麗に無視して首にヘッドホンを下げた月島が、スクリーンから目を反らして真っ直ぐに前を見た。ライトの当たる明るいブースから、黒尾の居る暗がりはきっと見えないだろうに。まるで射抜く様。きつい眼差しが睨み上げて来るものだから、見えちゃい無いだろうと思いながらも、黒尾はひらひらと手を振った。

 暗がりに沈んだVJブースの内側なんて、明るくたって此処からじゃ見えやしない。それでも、にやついた笑みが目に浮かぶ様で、月島は険のある眼差しを緩めもせずに首に引っ掻けていたヘッドホンを片側だけ耳元へと押し当てた。本来ならば、次に控えた相手との打ち合わせで最後の曲はこれ、と決めていたがそれどころじゃない。ディスクを浚い、急遽セットを変えながら月島は乾いた唇を浅く舐めて深く息を吸う。事前に、イベントの企画者から口を酸っぱくして言われていたのは、BPMの速い曲は掛けない事。モッシュを煽らない事。けれど、やられっぱなしは性に合わないのだ。
 がらりと変わった曲調に、ざわつく観客を見渡す。基本的に観客を顧みる事のない月島だから、顔を上げた途端にピュイ、と指笛が鳴った。ばらばらと上がる声や手に、しィ、と唇に人差し指を押し当てて宥め、それからカウントを。立てた細く長い三本の指を、順に折って行く。スリー、ツー、ワン。ぜろ、のタイミングで、骨の髄まで揺らす様な、落雷めいた低音が響き渡る。

 何かしてるな、というのは見て取れたが、何をするのかまでは、予想外だった。まるで指揮者の様に、口元に押し当てた指先ひとつでモッシュを宥めた後、響いた音に観客は驚きや戸惑いで固まっていたが、次第に波の様に揺れてさっきよりもずっと大きなモッシュになるのを、今度は宥めず、それどころか煽ってみせた。頭の上で軽く手を叩くと、それにあわせてフロア中が手拍子でリズムに揺れる。ブースの中で手振りをする月島の珍しさにか、どんどん熱が上がって行くフロアは空調だけでは温度が下がらない。
 サンプリングされたノイズ混じりの低い声が、四つ打ちのキックに混ざって響く。それに合わせて、月島の薄い唇が開いて口真似をするように動いた。その視線が、もう一度だけこちらを見たのを黒尾は見逃さない。当て付けのように、自分の胸をとんと指差し、フロア中に響き渡る、野次めいたスラングを美しくなぞった唇が笑って、
――――― Fxxk you!
 突き立てられた中指に、黒尾は目を瞬かせて、それから吹き出す様に笑った。まんまと月島に煽られ、初見だと言うのにタイミングを揃えてノっかる観客も観客だ。それまでの煽りっぷりが嘘の様に、曲を繋いだ月島は素知らぬ顔で次のDJへと引き継いでいる。生温いハイネケンだけでは、もう酔えやしない。フロアを突っ切り、こちらへと遣って来るであろう月島がブースの中へ辿り着くのを浮ついた気持ちで待ち焦がれる。口真似だけではなく、是非ともあの声と顔とで、罵って頂こうじゃないか。

クラッシュアウト

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