昼休みの特別教室棟は人気が少ない。中庭の木陰やベンチなんかは未だ、結構人が居たりもするが購買の有る本校舎の方が圧倒的にごった返していて、賑やかなのはいいが静かな場所を探そうとすると少々難しい。自販機で買ったブリックパックにストローを通しながら、踵を踏みつぶした上履きの底をぺったぺったと鳴らして廊下を歩くが、案の定擦れ違う生徒の数なんてほぼ皆無だ。遠巻きに聞こえる、笑い声や聞き取れない程かすかな人の話し声なんかを聞き流しながら、冷たいココアを飲み飲み、渡り廊下の角を曲がった所で、遠くに聞こえていた人の話し声が鮮明に聞こえて木葉の足が止まる。二階へ続く階段の登り口、その横の狭いスペースに白い夏服のシャツがちらりと見えて、何となくたたらを踏むように二歩後ろへ下がってひっそりと物陰から聞き耳を立てたのは、ただならぬ雰囲気を感じ取ったからだった。張りつめた、糸の様な。
「赤葦くんが、好き」
 聞こえた声と、呼ばれた名前に、ストローの吸い口を噛み潰してしまった。赤葦なんて名字、早々聞く事は無いけれど、その赤葦が自分の知っている部の後輩であるならば、なんとまあ間の悪い話に出会してしまったのか。出直すか、それとも素知らぬ顔して通り縋ってしまおうか、冷たく甘いココアを飲みながら様子を伺ううちに、微妙な既視感を覚えて木葉の眉根が寄る。赤葦に告白している、ほっそりとしたシルエットの女子生徒の声に覚えが有る。誰だったかと、記憶を浚う内に遣り取りは呆気無く終わり、俯きがちに早足で渡り廊下へと遣って来た女子生徒が、木葉を見向きもせずに擦れ違ってゆくのを目で追いかけて、漸く気付いた。気付いた途端、甘く舌先に残っていたココアの後味がほろ苦い。
「赤葦クンたら、モテモテじゃないすかー」
 踏み止まっていた足を動かして、のんびりと歩く。赤葦は未だ身じろぎもせずに其処に居た。声に首を巡らせ、それから、少しだけ眉を寄せて居たんですか、と呟く。
「盗み聞きですか?」
「偶然。偶々。俺の通り道でそっちが告られてたんだよ」
 非難する、というよりは、揶揄する様なそんな声に肩を竦めて、通り道だと主張する木葉に赤葦が黙った。答え倦ねている、のではなくて、呆れたのでも無くて。こちらの言葉の、続きを待っている。相手の話を最後まで聞こうとするその性分を、木葉は好ましいと思っているが、今だけはそれが少しだけ、気まずい。
「生物室で昼寝すんのが日課なんだよね、俺」
「昼寝、……そういえば小見さんも昼寝場所、よく探してますね」
「そ。だから内緒な、穴場なんだ」
 この場限りの話だと、仕草も交えて口止めする木葉をまっすぐに見詰めて、赤葦はまた黙る。でもそれ以上は何にも、繋ぐ言葉は持ち合わせていないので木葉も黙る。先に口を開いたのは赤葦だった。
「木葉さんの元彼女、でしょう。今の人」
 なんだ、知っていたのか。
「一週間で別れたけどな。よく知ってんね」
「まあ、色々と」
「色々ってなんだよ」
「妬きましたか」
 思い出そうとせずとも、特に思い出も無い。告白されて、たった一週間きり。喧嘩した理由は覚えていないが、相当くだらない口喧嘩が拗れての破局で、恋人らしい事は何一つせぬまま別れた相手だ。顔や声を覚えていたのは兎も角、妬く程の何かを引き摺っている訳では無い。だから、赤葦の質問には素っ気ないくらいあっさりと首を横に振った。それを見て、赤葦が微かに笑う。
「良かった」
「なんで」
「未練があるなら俺が妬いてました」
「心配しなくても、手ぇ繋いで帰ったくらいしかしてねえよ?つうかさ、」
 赤葦も嫉妬したり妬いたりすんのな。
 独占欲や執着のような、激情とは無縁そうな涼し気な顔を眺めながらぼろりと零れた言葉を聞いても、赤葦の表情は崩れない。寧ろ、どことなく機嫌が良さそうにすら見えて、木葉は残り少なくなったココアを行儀悪く音を立てながら飲みこんだ。主将である木兎が、感情の移り変わりが激しく解り易い所為なのか、赤葦はその真逆の位置しているように思う。読み難い、分かり難い。でも、時たま酷く勝ち気な顔をする事があるのは、試合中に数多くは無いが何度か見た事がある。コートの中だけだと思っていたその表情に、今、少しだけ似ている。
「付き合ってみたら案外相性イイかもしれねえよ。結構可愛いし胸でかいし。まあ、メールすげえ送って来るけど、赤葦そういうのマメそうだし平気だろ」
「断りましたよ」
 べこん、と空になったブリックパックがへこむ音が間抜けに響く。告白されて、断ったって事は。そもそも付き合う気も無い訳で、だったら。
「昼寝、するんでしたっけ。時間無くなりますよ」
「え、あ。うん。行くけど。行くけどさあ、……赤葦」
「はい」
「さっきの妬きそう、って、誰になの」
「さあ、」
 答える気も無い返事を置いて、赤葦が歩き出す。渡り廊下へ、では無くて生物室へ続く廊下を、足音もほとんど立てずに静かに歩き出す後輩の背中を呆然と眺めて、追いかける様に木葉も足を踏み出した。纏まらない考えに、甘いものが欲しくてストローを銜えても苦い後味しかもう、残っていない。

やきもちやき

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