からんころん。下駄を鳴らし、裾を払って歩く細い後ろ姿に追いつくのは雑作も無い。柳腰に巻き付いた帯代わりの二頭の大蛇が先ず気付き、それに遅れて彼女の視線がこちらを向いた。立ち止まり、扇の様に長い睫毛を瞬かせて、それから、綻ぶ様に微笑む。

「あら、鬼灯様。丁度良かった、これから伺おうと思っていたの」
「随分沢山の資料をお持ちですね」
「ええ。序でにと思って、預かりものも幾つかあって」
「成る程」

 細い腕には書類らしい束と、巻物が幾つか。嵩張る巻物や分厚い書類の束ばかりを選んでお香の腕の中から抜き取り、持ち直した鬼灯が先を行く様に歩き出す。両腕が塞がっている所為で為すが侭、量が減って軽くなった資料を一度見下ろし、ゆっくりとお香も歩き出す。からんころん、下駄の鳴る音にペースを合わせて歩く鬼灯の足取りは、常に比べればゆっくりと緩慢だ。

「運び先は全て閻魔殿ですか?」
「大王様と、鬼灯様へ提出する書類ばかりだった筈よ。後は、書庫に返却する巻物が少しだけ」
「報告書は兎も角、資料なら誰かに頼んでも嫌がられやしないでしょうに」
「アラ。アタシも好きでやっているのよ?こうして歩くのも、気分転換になるもの」
「お香さんのそういう所は、昔から変わりませんね」
「鬼灯様こそ。相変わらず、お優しいわ」
「……そんな事を言うのは貴女ぐらいですよ」
「そうかしら」

 ころころと柔らかな声で笑いながら、相変わらずだと言う鬼灯の言葉を、揶揄する様に真似て返すお香が身動きする度、緩く癖のついた髪が揺れて梔子の香りが微かに漂う。その結い上げられた髪の根元に、いつぞや高天原ショッピングモールでお香へ贈った簪飾があるのを見た鬼灯の口が、言葉を飲みこんでそっと閉じた。結局、黙った事で言い包められてしまった様な体裁となったが、不思議と居心地の悪さは感じず、閻魔殿の長い廊下を、ぽつぽつと話をしながら二人はゆっくりと歩いて行く。

「大王への書類は、私が預かりましょう。御苦労様でした」
「そんな、悪いわ。鬼灯様もお忙しいでしょうし、アタシが」

 執務机の上に書類と巻物を全て置き、閻魔大王へ提出する書類だけをまた手に持ち直した鬼灯に、お香が驚いた様に首を振った。しゃらんと簪の飾りが揺れて、また山梔子の香りがする。香油を使っているのだろうかと、艶のある髪を眺める鬼灯の手元へ、お香の白い手が伸びる。書類に指を掛けようとして、

「お香さん」

 書類に触れる寸前。名前を呼ぶ低い声に、指先が動きを止めた。節の目立たない細い指が、躊躇する様に丸く握り込まれて行き場を失ってしまう。書類を持たない鬼灯の左手がついと伸びて、緩く握り込まれたお香の手を上から包みゆっくりと下げさせると、もう一度持ち上がってお香の頬と、下瞼のラインを親指の腹が撫でた。頬紅で染まった頬は、触れてみれば蝋の様に滑らかで、ひんやりと冷たい。

「此処数日、ちゃんと休んでいますか。隈が浮いてますよ」
「……、鬼灯様こそ、きちんと寝てらっしゃる?」
「御心配なく。睡眠は欠かさずに取っています」
「そう、」

 揃えた指先で鬼灯の触れた頬や目元を押さえたお香が眉尻を下げて小さく笑う。意地の張り合いはお香の負けだ。お先に失礼します、と会釈を残して踵を返すお香の背中へ、お疲れ様です、と声を掛けた鬼灯は、左手を見下ろして溜め息をそっと吐き出した。自制しなければ。いとも簡単に、気安く腕を伸ばし触れてしまう。

「疲れているのかしら…」

 閻魔殿を辞しながら、一人歩くお香がぽつりと呟く。体温を確かめる様に触れていた鬼灯の指がお香には熱いくらいで、指先が離れた今でも未だ触れられている様に感じる程だった。隈が浮いていると指摘された気恥ずかしさで双眸を伏せながら、頬紅の所為だけでは無くほんのりと淡く染まった頬を押さえたお香の疑問に、返る答えは無い。

花の様に

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