シロは犬だ。最近とみにふかふかと輪郭がまろくなり、犬では無く小熊なのでは無いかと言われる事もあるが、多分産まれてから今に至る迄、そしてこれからもずっと、犬だと思う。ピンと尖った耳にくるんと丸い尻尾、つやつやふかふかの白い毛並みが自慢である。神獣で、桃から生まれて鬼退治の偉業を成し遂げた英雄、桃太郎のお供で、そして地獄の獄卒だ。鬼退治で名を馳せたと言うのに、今は鬼の元でせっせと仕事に励んでいる。長く生きていれば色々あるもんだ、とはルリオの語りぐさだ。シロにはその辺、正直良く分からないし気にもしちゃいないが、ただ分かっているのは鬼が島の鬼と、シロを獄卒に誘った鬼灯という鬼は、同じ鬼だと言うのにちっとも似てやしないと言う事。見目の話ではなく、どうやら一口に鬼と言っても色々と居るらしい。寿退社を華麗にキメた御局様と、シロの尊敬する先輩が同じ犬でも全然違うのと一緒だ。と、勝手に思っている。シロはこの、地獄の獄卒を束ねる鬼灯という鬼の事が大好きだ。

「シロさん、少し太りました?」
「えっ、ウソー!そんなことないよぉ、だって俺、食後に散歩してるもん!」
「おや。そうなんですか」
「うん、閻魔殿をぐるぐるって一周ぐらい」
「勢い余って確実に二周していますね」

 食堂の、大画面液晶テレビにほど近いテーブルで食後のお茶を飲んでいた鬼灯の膝元に前足を乗せて、シロは鼻先を上向けた。今日の鬼灯からは嗅ぎ慣れない匂いがする。それが何処かで嗅いだ覚えの有る匂いなものだから、気になってふすふすと鼻をひくつかせていたら頭の天辺を大きな手が乗っかって、毛並みに逆らわずゆっくりと撫でられた。  この、鬼灯の手の平はどうにもいけない。的確にツボを心得ているとしか思えないくらい、撫でられると気持ちいい。尻尾がわさわさと揺れるのが自分でも分かるし、目なんかもう、寝入り端みたいに目蓋が半分落ちてしまう。匂いを嗅ぐ為に上向いていた鼻先は徐々に下を向いて、ついには前足の上に顎を乗せてシロは両目を閉じた。頭を撫でていた手がするんと動いて、今度は鼻筋を指の背でこしょこしょと撫でられると堪えきれずに欠伸が出る。くあ、と牙を剥き出しにして満足そうな息を吐き出すシロの鼻には、もう鬼灯の匂いしか感じ取る事が出来ない。
 鉄と血の匂い。金魚草の世話をした時についた地獄の土の匂い。紙やインク、墨の匂い。煙草の匂い。薬を煎じた様な匂い。それに隠れる、薄い香油の匂い。体温が高いのか、鬼灯の指や手の平は何時も温かい。それがまた心地良くて、撫でられるとシロはもう、眠くて眠くてふにゃふにゃになる。いつだったか、浄玻璃の鏡で見た鬼灯に抱っこされていたコアラはさぞ良い寝心地だっただろう。

「シロさん」

 その、素晴らしく気持ち良い手の平や指はけれど、素っ気ない程あっさりとシロから離れて今度は湯飲みに添えられた。シロ自慢の尖った耳の先がへたれる。もうお仕舞いだなんて。酷い。薄目を開けて見上げると、湯気の薄れたお茶を飲みながら鬼灯はテレビの画面を見ていた。シロの未練がましい顔になんて、まるで気付いていない様な涼しい顔に、シロの鼻がふすんと鳴った。ふすんふすん。二度鳴らしても未練の断てぬシロの声ならぬ鼻息に、きつく吊り上がった双眸が漸く下を向く。鼻筋を、またこしょりと指先にくすぐられた。

「そろそろ出ないと、散歩に間に合いませんよ。途中まで一緒に行きませんか」
「行く!」

 噛み付く位の勢いでびゃっと膝から前足を下ろしたシロを踏まぬ様に、椅子を引いて立ち上がった鬼灯がトレーを手に踵を返す。ぺたりぺたりと、雪駄が鳴るその足下を、転げるように追いかけるシロの尻尾は、これ以上無いってぐらい嬉しそうに揺れていた。あんまりにもはしゃぎ過ぎて、歩く鬼灯の足に頭突きをお見舞いしてしまったのはまあ、ご愛嬌というやつだ。

犬の気持ち

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