人間誰しも、無心になるとついつい手が勝手に動く、という現象に覚えが有るのではないだろうか。取り留めのない考えにどっぷり嵌るより、もっと深く深く、息をしている事すら忘れてしまう様な、そんな深みに嵌っている時。意識が微睡み無意識に四肢が奪われる、あの息苦しいようで瞬く様な一瞬。その一瞬の最中に起きた出来事に関しては、いくら鍛錬を積もうが精神を虐め抜き鍛えようがどうしようもない。そう、致し方が無いのではないか。

「いいからこの三つ編みだらけの髪、早く解いてよ!」
「ええー…、かわいいのになあ」
「もう、兵助の髪の方がよっぽど編み甲斐があるだろうに」
「すぐに解けるから詰まらんよ」
「じゃあ八左は?」
「触る気にならないね」
「……私に似ているその髪は?」
「自分で自分のを編んでもねえ」

 ぽんぽんと投げ合うような遣り取りの最中に手を動かして、頭の中を空っぽにした結果ひたすら編み込んだ雷蔵の髪を手櫛で梳りながら解いていく。きつく編み込んだせいで癖がついて、ふわふわした髪のうねりが二割増、いや、三割程増している事を告げるべきか否か。

(無理だな…)

 髪を解いている間、大人しくじ、と地面に落ちた己の影の輪郭を凝視している雷蔵の、凍える様な冷たい視線と地を這う声の矛先がこちらへ向くまで、あと数秒。

編んで結んでほどいた後(三郎+雷蔵)


 今でこそ久々知兵助の髪は結い上げられて尻尾の様に揺れているが、首筋が露に成るほど短かった頃が一度だけあった。その一度というのは尾浜勘右衛門が知る限り、というだけであって、忍術学園に遣ってくる前の事までは流石に与り知らぬところである。

「俺、兵助の髪って好きだなー。触ってるとなんか落ち着く」
「んん?そう?」
「うん。昔から触ってみたかったんだよね」

 あれは入学して季節が一巡する頃だっただろうか。当時から火薬委員会に所属していた兵助は、上級生の巻き起こした諍いに半ば巻き込まれる形で首を突っ込む羽目になったのだ。なんやかんやと要領の良い兵助の事だから、何事も無く逃げ仰せるだろうと高を括っていた私や三郎達は、兵助が保健室に運ばれた、と知らせを受けその予想を大きく裏切られる。真っ直ぐに駆けつけた保健室で、焦るあまり少々音を立てて開いた扉の向こう、布団の上に座った兵助の髪は不揃いな長さに切られていた。運悪く、髪に火が移り咄嗟に苦無で切り落としたのだ、というあっけらかんとした兵助の声に、途方に暮れたあの時の気分は今でもあまり思い出したくは無い。

「触りたければ、いくらでも触ったら良いのに」
「そうするよ。もう懲り懲りだからね」

 いつかいつか、と機会を窺っていては、ばっさり切り落とされてしまいかねないもの。

意気地なし(久々知+尾浜)


 刀に長刀、大槍小太刀に、飛び道具。手に獲物を持たせた鉢屋三郎ほど恐ろしいものはない。武術大会でも群を抜いたその腕前はあの六年生も斯くやと噂されるくらいで、そんな生粋の天才肌な相手に太刀打ちできると思えるほど生憎と俺の頭は温かくは無い。しかしそれは、獲物がある場合だ。

 ひゅ、と空を切る音が先か、跳ね上がった足が顔面を狙うのが先か。身体を沈めつつ、三郎の足首を掴んでそのまま投げ飛ばそうとすれば、掴まれた足を軸に逆足が跳ね上がった。ぐらつく足場でもその体幹は揺るがず、しなる鞭の様な鋭さに逃げを打つ間もなく、咄嗟に空いた腕で顔を庇う様に防ぐ。固い肉のぶつかる音と、痺れる様な重い痛み。防ぎきれなければ耳を蹴られて意識ごと持っていかれる所だった。その狙いの正確さに背中が粟立つ。

「――――ッの、お前なあ!」
「なんだ、外したか」

 心底詰まらなそうに呟いた三郎は、俺に掴まれた利き足もそのままで器用に俺の太腿に足裏を乗せて立った。こんなに細くて軽い身体のどこに、あれだけの重い蹴りを放つだけの力があるのだろう。危う気無く見下ろして来る三郎は、汗も滲まない面に感情らしいものを微塵も浮かべず、ただ俺を見下ろしている。

「なあ、八左」
「なんだよ」
「勝った方が奢るって事でどうだ、仕切り直さないか」
「奢るって、……今日のA定食か?」
「この間、お使いに出た時に寄っただろう。刻んだ葉山葵の入った、出汁の美味いあの店」

 どうだ?、と持ちかける顔に笑みらしきものが浮かぶ。雷蔵とそっくり同じ顔立ちだが、雷蔵が浮かべる人好きのする、緊張の糸が緩む様な笑みではない。張りつめた糸を喜々として断ち切る、悪童の笑み。

「よし。のった」
「そう来なくっちゃあ」

 全力、とまではいかずとも、手を抜かずに相手をする事が三郎にとっての礼儀ならば、それに応えぬ訳にはいくまいよ。

現を抜かす程の(鉢屋+竹谷)

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